コミックブレイド5月号

ARIA10巻限定版購入しました。



当然アリア社長のわがままボディミラー付き。大きさは
すっぽり手の平におさまるぐらい。実際に触ると当然ぷにぷにとは
してないけど、見た目のぷにぷに感が素晴らしい。何この反則的な可愛さは。


開けるとこんな感じ。



欠点としては、すごい開け辛い。もうちょいパカッと開いてくれると
良かったんだけど、妙に固いんですよね…開けるたびに壊しそうで
怖い。壊したりしたらもう手に入らないから泣くに泣けん状況になる
から、慎重に扱うか。ちょうど手鏡欲しかったので良かった。



帯見てびっくり、天野先生がタビを絶賛してらっしゃるΣr(‘Д‘n)
好きな作家さんが好きな作家さんをほめるのって、なんかこっちも嬉しく
なってきますね。これも素敵な奇跡(恥ずかしい台詞以下略


そして本誌、今日は時間が無いのでARIA以外の漫画レビューは明日以降に。
いやね、ブレイド小説大賞の挿絵が箱田真紀先生だったんですよ。
いよいよ復活キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! ?と
期待していいものかどうか…。某T先生すらまだまだぬるいわー!と
言わせてしまうような休載の大御所ですから…もうかれこれ4,5年は
経ってるよな。もう半ば諦めかけていた所なので否応無しに期待して
みたくなりますよ。つーかブレイドはいいかげんこの豪華休載陣を
なんとかしてください。全員戻ってくれば層的には月刊誌で天下狙える
ぐらいにはなると思うよ、うん。


ARIA OVA 「ARIETTA」について、天野先生と監督をつとめる佐藤順一
監督の簡易インタビューが掲載されています。
正式名称は「ARIA The OVA〜ARIETTA〜」みたいですね。
つーか編集さん…


ARIAじゃなくてAIRAになってますがなorz
萩原さん…ここは間違えちゃいかんでしょう。



転載する訳にはいかないのでどんな感じかだけ



OVAが製作される事を喜んでおられますね。期待する部分としては、
TV版の4:3の画面から16:9のワイドに変わるそうなので、より
ARIAらしい世界観が構築できるのではないか、との事。
アニメ終了後も単行本やDVDで応援してくれた皆さんのおかげで
今回の企画が実現した、というお礼で締め。


うーん、16:9になるのか…うちの部屋のTV4:3だからなあ…出るまでに
なんとかせないかんな。後、天野先生すいません、DVD金無くて
買えなかったですorz。でも、単行本とかCDとかいろいろ買ったから、
ちょっとは貢献できたのかな…。


TVシリーズの時はスケジュールとかの関係で思い通りにならなかった事
もあったけど、今回はOVAという事で町の描写や空気感なんかにもっと
こだわりをもっていきたい。また、もう一度ヴェネツィアへの取材を
敢行するとの事です。


アニメだとどうしても縛りはありますからねえ。特にARIAの場合は
ストーリー性がどちらかというと薄くて、その瞬間瞬間の演出とか
背景の描写とか作画の質とか、そういうのが大事になってくるから。
水面の描写とか、空気の流れとか、画面の光の加減とか…。
見ているだけでネオヴェネツィアの空気を感じ取れるような質の高い
映像と演出を期待。どうせやるなら中途半端じゃなくて、何回でも
見返せるような高品質なのを作って欲しいと思う。作品的にOVA化は
正解だと思いますよ。



秋に発売されるというだけで、詳細は書いてないな…。一説には
小説版のOVA化という噂もあるけど、原作でやるなら「アクアマリン」
は絶対にやってほしい。後、構成上できなかった「ヴォガ・ロンガ」
と、飛ばされた「星の謳声」とか、やってほしい話はまだまだある。
シリーズ化してくれたいいなあ。


  • ARIA Navigation54「ケット・シー」


「いつもの日々を繰り返して 私たちはいつか大人になっていく





「過ぎ去ってゆく火星での日々を 私は絶対に忘れないだろう」


水無灯里



今回は、灯里とケットシーの、お別れの話



猫妖精に最近会えないなあ、と嘆く灯里。対して藍華は、もう会えないのでは、と。
妖精とは子供のころだけ見えるもの。一人前を目指す灯里達の前にはもう現れないのでは
ないか、と。
アリスはまた、猫妖精に関する灯里の体験談から、
灯里はネオヴェネツィアの7不思議のうち5つを既に体験していて、7つ全て体験した
人には大変な事が起こるという噂がある、と。
オレンジぷらねっとに帰ったアリスは、アテナからある事を聞く。それは、猫妖精もまた
7不思議の一つであった、と。アリスの心配を他所に、7不思議めぐりをしていた灯里は
最後の一つ、「不幸の石」を訪れていた…。





7不思議に関するやりとりはなかなかホラーチックで緊張感があっていい意味でARIAらしくなくて
良かったと思う。最後の石を踏んだ瞬間の場面の転換もおお!っと唸らされた。最近まったり系
の漫画が多かったので忘れてたけど、短編とか浪漫倶楽部とかでもこういったSF風味のストーリー
展開はよくやってたよな。そのあたりの力はまだまだ健在といった所か。



で、まあ、後半は灯里とケットシーの最後の交流になる訳ですが…なんともロマンチックですねえ。
まるでケットシーがこの物語の灯里のパートナーかのように。雪虫とかアイちゃんみたいな一時の
別れでなく、明確に「もう会えない」というお別れというのは、作品内で灯里が体験したのははじ
めてなんじゃないかな。ケットシーから別れを実質的に告げた原因というのは、藍華がいった事に
おそらく相違ないと思う。一人前になるために前に進もうとしている人にとって、永遠の時を生きる
自分のような存在は成長の妨げになる、だからもう会えない事を告げた、という所でしょう。



で、ケットシーが灯里の前に姿を現したのは何故か、というのを考えてみたんですよ。水路と喫茶店
はまあイレギュラーっぽい。カーニヴァルはどっちかというとケットシーのほうから現れてる。銀河
鉄道もアリア社長の意思が入ってるとはいえケットシーの意思っぽい。墓地の島はケットシーの意思
で助けに来たよね。どうも一貫性が無いけど、一度目と二度目を除けばケットシーの方から灯里に会
いに行ってるような感じがするよね。アニメ版を見てから、ケットシーはアクアそのもので、アクア
の過去を灯里に伝えようとしているのでは、とか考えてた事もあったけど、今回の話を見ていろいろ
考えてみて、どうもケットシーは、そんな大層な事でなく、自分が会いたいから灯里に会いに行ってた
んじゃないかな、と思ってます。俺のy藍華やアリスちゃんや、またあかつきんやアル君
達がそうであるように、灯里の人柄に惹かれて、自然と集まってきた人達と同じように。
ただ単に、素敵なものを一緒に見て喜びたかったのか、またそんな灯里をただ見ていたかっただけなんじゃないかな。



で、この話読んだ時真っ先に思い浮かんだ話が一つあって、それは
ヨコハマ買い出し紀行のミサゴの話でした。ミサゴは、水辺に住む不思議な人間型の生き物。
大人が嫌いで、子供の前にしか姿を現さない。ミサゴに会えるのは、子供の間だけ。お別れ
も言えず、自然にその人の前から姿を消す、そんな存在。ヨコハマの登場人物、タカヒロ
またミサゴに会い、成長するにしたがってだんだん会えなくなり、今度はタカヒロの年下の
友達のマッキの所に現れるようになってきた。で、マッキの所にも序如に現れなくなってくる。
そのたびに、彼らは自分が大人になっていった事を自覚していった訳です。



ケルト神話の妖精なんかも、見えるのは子供のうちだけ。何故なのかを客観的に考えてみると、
「幼いまま、時を止めていることが許される子供のうち」というのが、永遠にその場あるだけの
妖精のような存在と通じる所があるからじゃないかな、と思う。大人になることは、前に進む
事。だから、時を止めて同じ場所にとどまっているわけにはいかない。だから、「そこに在る」
だけの妖精達と心が通わなくなるからじゃないかな、と思う。


それは、そのままモラトリアム期間の終焉を意味するもの。


最後の台詞で、灯里もそれを自覚したのだと思う。最後の言葉はもはや自分が前に進むしかない、
という決意の表れにも聞こえる。ケットシーもこれからも灯里と会いたかったのだと思う。
もっといろんなものを見せてあげたかったんじゃないかな、と思う。
でも、灯里のために身を引く事を決意したんだろう。別れは切ないし、また、灯里の決意も切ない。
大切な思い出、素敵な思い出は胸にしまっておく。いつまでも思い出の中では、前に進む事は
できないから。でも、
前に進むのもいいけど、心に余裕と素敵を忘れてしまったら、「ARIA」という作品の世界観自体
も壊れてしまいますよ。そのあたり最近の成長物語の多さからも少し不安。



でも、今回は久しぶりに手放しで賞賛できる出来栄えでした。「春夏秋冬」のような作品がARIA
の真骨頂だとは思うけど、たまにはこういう切ないストーリーもいいもんだ。